9月 27th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?僕の意見

朝日新聞の土曜日の別刷りの「悩みのるつぼ」というコーナーに「自殺は本当にいけないですか?」という相談が寄せられました。

相談者は無職の50代男性。

自殺はいけないと言われるけれど、自殺を正当化できないか。
後ろ暗いイメージを残さず自殺できないか。
迷惑をかけない方法で自殺すれば、いけないことはないのではないか。

これまで税金は納めてきたし、年金を受け取らずに死ねば、国にも貢献できる。
明るく前向きな自死だと思うがいかがだろうか。

こんな内容の悩み相談でした。

それに対し、社会学者の上野千鶴子氏は、「ひとは社会的な理由からではなく、個人的な理由から自殺します」と前置きし、社会のために自殺することはありえないからあなたは自殺する気はないのだ、と断定。

ならば、この質問の意図は?と話を進めます。

4通りの質問の解釈を示し、「つらい、さみしい、助けてほしいのなら、こんな回りくどい言い方をしないで、正直にそう言いましょう。きっと誰かが受け止めてくれます。自分の弱さを認めることがまず先です」と。

そして最後にひと言、「これだから男はめんどくさいんですよね」とありました。

質問者の質問が本気かどうかは別にしても、一般大衆に知らしめる回答としては、おふざけが過ぎるかもしれません。こんな回答を、朝日新聞はよくも載せたものです。

「自殺はいけないのか?」とは、裏を返せば「なぜ生きるのか?」という問いです。

「自殺はいけないのか?」の問いに「自殺はダメだ」と答えたら、必ず「なぜ自殺はいけないのか?」と問われます。

つまり「なぜ自殺せずに生きねばならないのか?」という問いです。

いかなる事情をとってつけても、前向きな自殺はありえません。
明るい自殺もありません。

自殺を良しとするならば、命は粗末にして良いことになります。
がんばって生きることはいらない、ということになります。
命は大切でないから、他人を殺しても大したことはない、ということになります。

「命を捨てても良い」と答えることは上記のことを認めることにほかなりません。
人それぞれ命の価値が異なるのではありませんから。

すべての人に共通した尊い目的があるからこそ、人命は地球より重いといわれるのだ、と教えられます。

死にたくないのに、死にたいと言って、人騒がせな質問者だ、ということを上野氏は冗談めいて書いているのかもしれませんが、「きっと誰かが受け止めてくれます」というのは無責任発言の常套文句です。

「オレ、死にたいよ」

「そんなこと言うなよ。生きていれば、きっとそのうちいいことあるから」

という慰めと同じです。
みんなが「きっと誰かが受け止めてくれます」と、その男性をたらい回しにしたら、その男性はせっかく自分の弱さを認めて、苦衷を告白したのに、受け止められないまま本当に自殺に走るかもしれません。

人間に生まれて本当に良かった、といえる本当の人生の喜びを知っていただきたいと願うばかりです。

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8月 25th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?仏教の教え

平成23年8月6日の読売新聞に、以下のような記事がありました。

自宅も仕事も失って絶望した男性、夫を失い悲嘆する妻……。

東日本大震災をきっかけに自殺に追い込まれる人が相次いでいる。内閣府が5日、震災に関連して自殺した人として公表したのは、6月だけで16人。専門家は「将来を悲観して思い詰める人が増える恐れがある」と警鐘を鳴らす。

 宮城県石巻市の男性(49)は5月末、避難所から移った市内のアパートの室内で、冷たくなって家族に発見された。宮城県警石巻署によると、男性は自殺した可能性が高いという。

 「お父ちゃんは絶望していた」。男性が震災後、落ち込んでいた様子について、妻は周囲にこう話していた。近くの小学校で避難生活を送っていた男性を見舞った知人は「気さくな人だったのに、別人のように口数が少なくなり、疲れ切った表情だった」と振り返る。

 知人らによると、男性は数か月前に新築した自宅を津波で流された。勤め先の会社も津波の被害を受け、職を失った。新たな仕事が見つからないことや、ローンだけが残ったことにショックを受けていたという。

(略)

 悩みを抱えた人から電話相談を受ける社会福祉法人「仙台いのちの電話」(仙台市)によると、震災に伴う悩みを打ち明ける人は1日5~6人。「勤めていた会社が倒産した」という男性や、「津波の恐怖がよみがえり眠れない」という高齢者の相談が目立ち、「死にたい」「楽になりたい」と漏らすこともあるという。

(2011年8月6日  読売新聞)

東日本大震災で被災された方々は、復興に向けて立ち上がられ、懸命に努力しておられるのですが、上記のように「絶望」によって、命を絶たれる方がある悲しい現実があります。

そんな状況に追い込まれたら、死を選んでも仕方がない、という意見もあるかもしれませんが、死を正当化できる理由はどこにもありません。

死によって、苦しみから逃れることが出来るのであれば、「死を選ぶ」選択肢も考えられますが、死を選ぶことで、苦しみから逃れることは出来ません。仏教を説かれたお釈迦様は、自殺せずになぜ生きるのか、その理由を明示しておられます。

どんな苦しみをも乗り越えて、なぜ生きるのか、生きねばならない理由が人生にはあります。仏教にはそれがハッキリ示されているのです。そのことを、私自身も、親鸞会の友人から教えてもらい、仏教の教えの素晴らしさに気づきました。

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7月 22nd

「人生って、結局、無意味なんじゃないの?」

という意見は少なくありません。
人生が無意味ということは、何の意味もなさない、ということ。
言葉を換えれば、無駄。

そのように口にしている人も、しかし、さすがに「無意味」をそのまま受容することは出来ません。
無意味であることは、むなしく、苦しいことです。

作った料理をひっくり返してしまった時、一生懸命にパソコンで打ち込んだデータが消えてしまった時、アルバイトで受け取った給料を落としてしまった時……、そんな時の無意味感はたまりません。

「何のために一生懸命がんばったのか……」

とても苦しい気持ちになります。やりきれません。
何とか自分を慰めようと思って、意味を見出そうとするのですが、それでも失ったものが大きいほど、フォローは難しいものです。

「今回の失敗を、これからの人生の教訓にしよう」

と、失敗を成功の糧と受け止めて、前向きな気持ちを取り戻そうとする人もあるでしょう。
それが精一杯かもしれません。

しかし、もう未来がないとなったらどうでしょう?

「え?そんな時があるの?」

あるんです。それが「死」です。どんな失敗も、「それを今後の糧に……」と言えなくなるのが「死」です。
人生をかけてやってきた一切が、そこで失われます。
手に入れてきた一切を、そこで失います。

何もついては来ません。

そのことを分かってなのでしょうか、「人生は無意味」と思う人が少なくないのです。
しかし、それを思ったとき、人生は、すべて虚しいものとなります。

生きる意味がないのですから。

しかし、本当に、人生は無意味なのでしょうか?

もし、人生に意味があるとするならば、手に入れたものが、たとえ死がやってきても失うことがないものでなければなりません。
そんなものは、本当にあるのでしょうか?

「あります」

あるから、生きる意味があるのです。
それが「なぜ生きる」の解答です。

それを教えられたのが仏教なのです。

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7月 6th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?僕の意見

政府の「自殺対策タスクフォース」が7月4日に内閣府で開かれ、5月に自殺者が急増したのは女性タレントの自殺が影響した可能性があると指摘されたとの報道がありました。

内閣府によると、5月の自殺者数は前年同月比で19・7%増の3329人。

都市部の20~30代の女性の増加が目立ったといいます。
今年の1日平均は72人、タレントの上原美優さんの自殺が報じられた翌日の5月13日と16日の自殺者数は140人で、今年最多(5月末時点)を記録しました。

東日本大震災の影響についても触れ、被災した各自治体に対する聞き取り調査では「今後、自殺者数が跳ね上がる可能性がある」などと危機感が示されたといいます。

菅直人首相は「自殺問題は大きな社会的課題だ。政治的に多少の変化があったからといって、取り組みを緩めていい問題ではない」と強調した、と報道にはありました。

いろいろと各方面で対策が講じられている自殺問題ですが、対策に苦慮しているのが現状です。すでに年間3万人超の自殺者数となって13年が経過しました。

根本にある「なぜ生きねばならないのか?」が明らかにならない限り、どんな自殺対策も絵に描いた餅になってしまいます。

なぜどんなに苦しくとも、自殺してはならないのでしょうか。
なぜ、自ら命を絶ってはならないのでしょうか。
苦しみを乗り越えて生きる理由は何なのでしょうか。

かつて、平成10年の自殺者急増を受けて、ある雑誌社でアンケート調査が行われました。
テーマは「あなたは、なぜ自殺せずに、生きるのか」。

最も多かった回答は、「生きていれば、そのうちいいことがあるから」でした。
これは裏を返せば、「なぜ生きるか、生きる理由はこれと言ってない」ことを告白している回答。

なぜ、そう言えるのか、次回、論じたいと思います。

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5月 20th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?僕の意見

韓国有名人の自殺が相次いでいます。

自宅マンションで5月23日に飛び降り自殺したアナウンサー、ソン・ジソンさん(29)。
5月27日には、人気ボーカルグループ「sg WANNA BE+」の元メンバー、チェ・ドンハさん(29)。
5月30日には、元Kリーガーの鄭鐘寛(チョン・ジョングァン)選手が自ら命を絶った。

事情は、それぞれあるにしても、お隣韓国での有名人の相次ぐ自殺に、日本でも衝撃が走っている。

自殺の原因について、うつであったこと、人間関係のトラブル、仕事がうまくいかない、など、いろいろと報じられますが、それらはすべて、表面的なことであって、根本原因ではありません。

問題の根底にあるのは、「なぜ苦しくとも自殺してはいけないのか」、この問いに対する答えがハッキリしていないことがあげられます。
大切な人を失い、「なぜ死んでしまったの」「どうか死なないで」「命を大切に」「生きていればいいことがあるから」と、メッセージが投げかけられますが、自ら命を絶った人たちも、かつて、そのように訴えた一人だったかもしれません。

苦しみの余り、自ら命を絶とうとする人に、このような言葉を投げかければ、きっと問い返されるでしょう。

「なぜ死んではいけないの?」
「どうして命は大切なの?」
「いいことって何?」

これを自らに問うた時、ハッキリと答えられる人がいるでしょうか?

「なぜ生きる」

すべての人にとって、これ以上、重要な問いはありません。
この問いに、受け売りの知識も、代弁も許されないのです。
あなたは、なぜ生きる?

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5月 1st
Posted by ポン太  as なぜ生きる?一般論

3月11日に起きた未曽有の震災。

東日本大震災の被害は、1ヶ月経った今も、未だにつかめないほど大きなものとなっています。

復興に向けて、日本国内だけでなく、世界から支援が寄せられ、励ましのメッセージが毎日、被災地に届けられています。

しかし、ご家族を亡くされた方の時間は、その時から止まったまま、というのもまた現実です。

遺体が見つからず、今も探し続ける遺族の方の姿が報道されますが、その心境はとても想像できるものではなく、言葉を失います。

ある専門家は

「遺族ほど悲しみや苦しみに耐え、頑張っている存在はいない。周囲が死を見ないようにして『頑張ろう』と復興ばかり強調すれば遺族は『放っておかれている』と思う。喪失感は増し、最悪自殺という手段を選択させてしまう」

と遺族の孤立化を危惧しています。

想定外の苦しみや悲しみに遭遇したとき、人は生きる希望を失い、未来への見通しが立たず、絶望のあまり自ら人生に終止符を打とうとすることがあります。

死んで楽になれる保証などないとありませんが、そのような行動に出てしまうのも、あまりに苦しみが大きいからでしょう。

どんなに苦しくても、なぜ生きるのか。
人は、苦しみに直面したとき、この問いが突きつけられます。

苦しみはいつやってくるかわかりません。
前もってやってくるとわかっている苦しみの方が少ないでしょう。

今、この「なぜ生きる」の問いに、しっかり向き合っておくことが大事です。

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3月 2nd
Posted by ポン太  as なぜ生きる?仏教の教え

3月2日の北日本新聞に作家の

向田邦子さんが、

「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」

という歌を祖母から教わったと書かれてあり、

続けて、歌の作者は親鸞聖人で、聖人は

「ひたすた生きる意味を問い続けた」

と書かれてありました。

正確には、親鸞聖人が

「ひたすた生きる意味を問い続けた」

のは29歳までで、それ以降は

「ひたすた生きる意味を説き続けられた」方ですね。

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1月 24th
Posted by ポン太  as 未分類

尾崎豊の2通目の遺書があった、ということで、芸能ニュースでも話題になっていました。

尾崎豊の歌詞には、強いメッセージを感じます。

『15の夜』には、次のようにあります。
自分の存在が 何なのかさえ

解らず震えている

15の夜

……

なんてちっぽけで

なんて意味のない

なんて無力な

15の夜
自分の存在意義を問い詰める歌詞。

広い宇宙を見上げたとき、あまりに小さな地球という星。

その中の、日本という国に生きる一人の人間。
日々、勉強、仕事、家事に追われ、毎日を過ごしています。

そして、最後には同じ結末、「死」があるだけ。

楽しければ、それでもいいかもしれない。

けれど、人生は、生きるとは、何と過酷なのでしょう。

努力して、手にした幸せは、努力の時間と比べればあまりに儚く色あせる。

いつ、どうなるか分からない不安。

本当の安心、満足というものは、いったいどこにあるのか?

だから、人は、それを何かでごまかそうとするのかもしれない。

酒で、趣味で、仕事に没頭して、遊んで、はしゃいで……。

だが、それは一時のごまかしに過ぎないから、結局、現実に引き戻される。

夢と現実を行ったり来たり、そして結局、「死」の現実で終わっていく。

何のために生きるのだろうか?

なぜ生きる?

「生きてきてよかった!」

の大満足を、仏教を説かれたお釈迦様は明らかにされました。

「なぜ生きるの答えがある」

「人生に意味がある」

「生まれてきてよかった、という大満足がある」

経典には、

「人身受け難し今已に受く、

仏法聞き難し今已に聞く、

この身、今生に向かって度せずんば、

更に何れの生に向かってか、この身を度せん」

とあります。

人間に生まれて良かった、と心から言える真の満足は、時代や場所によって変わることはありません。

人は、だから仏教に説かれる「なぜ生きる」の答えを求めずにいられないのでしょう。

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12月 27th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?一般論

「なぜ生きる」について、親鸞会の人から聞いた話です。

「“人生”と“仕事”は常に連動していることを自覚せよ」
 
 野村さんが監督として守ってきた五原則の第一に挙げている言葉です。

 原則の第二は
 
 「人生論が確立されていないかぎりいい仕事はできない(後略)」
 
 
 野村さんは色々言われてもいますが、
 
 南海(現ソフトバンク)では選手兼監督
 
 戦後初の三冠王、MVP五回、本塁打王九回など活躍した。

 万年Bクラスと言われていたヤクルトを、平成5、7、9年と日本一に導いたのも事実。
 
 ドカベンも野村さんを意識して生まれたキャラクターだともいわれています。  
 
  
 そんな一流の人の言葉はやはり違いますね。
 
 人生と切り離した仕事をしていると、定年後、どうなるのでしょう?

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11月 15th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?ドラマ、本など

フロイトの書いた「幻想への未来・文化への不満」

という本があります。

   

以下、その中の文章です。

 ・・・・・・・

という悲痛な謎にたいしては、これまではいかなる

薬も発明されていないし、おそらく今後も発明される

ことはないだろう。

人生とは、人類の全体にとっても、個々の人間にとっても

困難にみちたものである。

人生の目的は何かという問いに答えることができるのは、

宗教だけなのである。

だとすると人生の目的は何かという考え方そのものが、

宗教的な体系によって生まれ、問われたのだと考えても

間違いではないだろう。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 

人生の目的の答えは、宗教に求めねばならないとフロイトは言います。

日本人は外国から、宗教オンチといわれるように、ほとんど宗教について学びません。

だから余計に、変な宗教が出てくるのかもしれませんね。

 

本当の人生の目的を教える宗教が、正しい宗教といえるでしょう。

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