なぜ生きる?それとも、どう生きる?

6月 12th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?仏教の教え

どちらの宗派の方かは存じませんが、仏教に関わる方から尊いお言葉を拝聴いたしました。

「長生きして大往生を遂げることが幸福とは限りません。
短命で若くして亡くなることが不幸とは限りません。
生まれてから死ぬまでの一度きりの人生。
なぜ生きるか、ではなく、どう生きるかが大切なのです」

・・・なるほど。
確かに、生の価値は生きていた長さで決まるものではありませんよね。
どれほど長生きしていても毎日を無気力に過ごしていては虚無感がつのるばかりですし、短命であっても精一杯過ごしていれば最期には満足できるかもしれません。
(短命な人ほどその生を満足のいくよう生きがいをまっとうしようとしますよね)

つまり、なぜ生きるかは特に問題ではなく、生きている間に何をどうするかが人生においては問題となるということです。

この言葉は、僕には「なぜ生きるかなんて無意味なことを考えている暇があったら、どう生きるかを考えなさい」と言っているように聞こえます。
まぁ、それを言ってしまうと、このブログを立ち上げた意味がなくなってしまうので肯定しきることはできないのですが。
でも、否定もできません。
なぜなら、なぜ生きるかなんて問題は、どれほど真剣に考えてこれ以上ないくらい適切な結論を導き出したとしても、それまでなんです。
比べてどう生きるかは、考えて実行すれば経験したという事実が残るのです。
我々人間は生について難しく考えがちですけど、生きるとは単純なことで、何かを経験することなんですよね。

なぜ生きるのかは、誰だって一度は考えずにはいられなくなる問題だと思うんですけど、なかなか答えの出ないことを時間をかけて考え続けているよりも、できることから始めた方がよっぽど有益なんじゃないかと考えてしまう僕でした。

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