12月 27th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?一般論

「なぜ生きる?」っていうテーマを正面から歌っている歌手に
上原あずみ、という人がいます。
以下、「MAZE]という曲からです。
どうしてみんな生きているの

どうしてみんな死んでゆくの

 

なぜ私はココにいて

なぜ私は誰かを演じて

なぜ私は作り笑いをして お世辞をならべて

言いたくも思ってもないことを口にするの

なぜ私は生きている
   《Maze》  作詞:上原あずみ 作・編曲:Bonn
maze

maze(メイズ)とは、迷路、迷宮という意味。

迷宮のような人生、なぜ生きるの?

親鸞会の友人が、「なぜ生きるって考えたことない?」と

聞いてきたことを思い出します。。。

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11月 27th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?独り言

「なぜ生きる」という問いには、

しんどいのに
つまんないのに
苦しいのに
未来(さき)が見えてるのに
どうせ死ぬのに、

「なぜ生きる」ってニュアンスを含めて感じてる人は多いと思う。

この「生き難さ」を感じてる人は決して少なくないんじゃないかな?
直接的な

人間関係
金銭的問題
病気

などの問題もあるし、もっと抽象的な、

なんとなく
漠然と
なにというわけではないけど

空しかったり
淋しかったり
力がわいてこなかったり

ってことないですか?

そんなときは、

パーと楽しんで憂さ晴らし!
とにかく今日はゆっくり風呂でもはいって早く寝て

などのアドバイスも頂きます。
確かにある程度効果はあります。

でも、根っこの部分、一番大事な部分は
なーんにも変わってないように思うのですよね。

だから、またある程度時間がたつと、むしょうに行き辛さを
感じてしまうのです。

もし「なぜ生きる」の答えが分かったら、このモヤモヤ感は解消され
よほど違った人生が開けるように思えるのです。

僕の感覚、分かってもらえますか??

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10月 28th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?生き甲斐

「なぜ生きる」ということについて記事を書いています。

今、大きなテーマは、生きる目的は共通なのか、人それぞれ
違うのか、ということ。

以前、僕は、人生の目的は、人それぞれだと考えていました。

しかし、考えたり、学んだりしていくうちに、どうもその考えに
違和感を抱くようになったのです。

つまり、人それぞれなのは、生き甲斐であって、
それは人生の目的とは別物ではないかと思うのです。

生き甲斐は、とりあえず《今》目ざしているものですよね。
大学受験とか就職とか結婚とか何かの賞を取るとか。

これが生きる目的だと考えると、どうもこれらは《軽》すぎるように
思えるのですよね。

だって、人生の目的って、命の目的ってことですよね。
ということは、命と等価値、もしくはそれ以上のものでなかったら
命の目的とはいえないはずです。

しかし、どう考えても、受験とか、就職とか、そういったものと
命ではつりあいがとれません。

だから人生の目的は、とりあえずこれ、というようなレベルでは
ないと思うんです。

では何か?
それをこれから学んでここにその記録を書き込んでいきたいと
思っています。

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9月 29th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?僕の意見

さて、なぜ生きるについて書いていますが、やはりこうして
ブログに書くようになってから、思索が少しずつ深まって
きたように感じます。

すくなくとも意識が高まりましたし、他の人の意見にも、
より耳を傾けられるようになった気がします。
そして、自分の考えも変化をとげてきました。

最初、なぜ生きるは人それぞれだって思っていたのですが、
どうも違うように思えてきました。

確かに、表面的には、いろいろなのですが、根っこは、
《幸せ》を求めて生きているわけで、人生論はそのまま幸福論
ともいえるようです。

そして、これまた表面的な幸福感は人それぞれですが、
根っこにある幸福感は、少なくともかなり共通しているように
思えるのですよね。

単純に考えても、幸せは続いて欲しいと思うし、
浅いものより、深いものを求めています。

そうすると、行き着く先は、ずっと続く幸せで、
人間に生まれて良かったといえるような、そんな幸福を皆共通に
求めているのではないでしょうか?

幸せの長さ、深さを突きつめていくと、そうなるんですよね。
このことはもうちょっと時間をかけて考えていきたいと思います。

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7月 12th

人間はなぜ生きるのだろう・・・?
それは人生をおくる中で、誰もが一度は考える問題です。
命の生死について、早い人は小学生の頃から考えたりもします。
きっかけはテレビや漫画で見た内容だったり、親戚の法事だったり、いじめ問題だったりと様々です。
命の生死について考え込むことはけっして悪いことではありません。
他人の死や自分の生きる意味について大いに考え、しっかり悩んでください。
頭が痛くなるほど考えたそれは、いつか必ず人生の充実感へと繋がります。

・・・と、そううまい具合に前向きに考えることができるならよいのですが、親鸞会で聞いたところ、実際は悩みに悩んで答えを出すことができないまま深みにはまっていく中高生が多いのだとか。
上で述べたとおり、考え、悩むことは悪いことではありません。
しかし、それが人生の充実感ではなく、人生の虚無感へと繋がってしまう人が多いらしく、たいへん心苦しいことです。

「なぜ、自分は生きているのだろう?」
と考え始めたはいいものの、
「そうか、だから自分は生きているんだ!」
と気付くきっかけがないのでしょうか。

中高生といえば、青春真っ盛り。
もっとも繊細な精神を有する思春期ですよ。
そんな時期に手に入れる人生感が充実感ではなく虚無感だなんて、もったいないことこの上ないですね。

人生に一度しかない青春時代、あなたはどう過ごしていますか。
なぜ生きるのかを考え始めたならば、どうかよりよいあなたの答えを導き出してください。
そして、そのまわりの大人たちも、暖かい目で見守って、時には手を差し伸べてあげてくださいね。

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7月 4th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?一般論

Yahooやgooのコミュニティーで「なぜ生きるのか」が質問として挙げられると、非常に回答が賑わいますね。
真面目に仏教の観点から説明する親切な親鸞会の方もいらっしゃれば、精神的な幼さゆえに「考えること事体が無意味だ」と答える人もいます。
それらをいくつか読んでいて気付いたのですが、答えは人によって様々ですが、皆さんそれぞれ自分なりの答えを持っていらっしゃるようです。
自分の考えを述べたうえで、質問者によりよい答えを得られるようエールを送って・・・
僕はそれらのコミュニティーを読むだけで、質問する側にも回答する側にもまわらずにいるのですが、それだけでも励みになります。

答えは人それぞれとはいえ、「なぜ生きるのか、その理由は自分で探すもの」という回答が一貫してあるように思えました。
生きる意味がそれぞれの人で異なるということは、僕がこのブログでいちばん最初に述べたことでもあります。
全ての人に共通している「なぜ生きるのか」の答えを求めるということは、“人間”の生きる意味を求めることであり、それは“あなた”の生きる意味とは明らかに違ったものになります。
“人間”の生きる意味を求めてしまうと科学的な観点にならざるを得ず、生きることそのものに意味はないとか、子孫繁栄のためとかいう答えになってしまうのは無理からぬこと。
死んだらどうなるかという問いなら誰にでも同じ答えが当てはまりそうですが、なぜ生きるのかなんて問いは他人に訊ねて出る答えではないんですね。
参考にはなるでしょうけど。

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6月 19th

最近の僕の愛読書、親鸞会の高森顕徹先生による「なぜ生きる」という本を読んでいて、考えさせられる内容を見つけました。
それは、趣味は生き甲斐になり得るが、現実逃避ともなる、といったふうなこと。

趣味を生き甲斐としている人は大勢いるでしょうね。
僕にもいくつか趣味があり、生き甲斐のひとつとなっていますが、もしかしたら現実逃避のための趣味となってはいないでしょうか。

僕には、好きなことに集中していると周りが見えなくなってしまうという癖があります。
そのときしていることにしか思考を充てることができないので、他のことは考えられません。
それをいいことに、仕事で大変なことがあれば、自宅に帰ったときには一時的にでも仕事のことを忘れようと趣味に没頭することもしばしば・・・

・・・そう、これが現実逃避なのです。
とはいえ、僕の場合は現実逃避といってもまだかわいらしいものでしょう。
危ないのは、趣味に打ち込んだまま、そこから抜け出せなくなってしまうパターン。
趣味を終えれば、また大変な現実が待っています。
いつかは直視しなければならない現実から逃げるために、趣味に没頭してしまうと・・・

それらの違いはどこにあるのかというと、実生活にどれほど負担を抱えているかによると僕は思います。
趣味の世界から戻って来たいか来たくないか。
それはつまり、生きることを楽しんでいるかいないかということにもなるでしょう。
生活が楽しいから趣味も楽しめる、生活が辛いから趣味を楽しむ。
同じ趣味でも、生き甲斐とするか現実逃避とするかで随分違いますね。

現実逃避のための趣味がいけないというわけではないでしょうが、僕も趣味に打ち込むあまり実生活がおろそかになってしまわないように気をつけなければ。
でないと、なぜ生きるかを考える意味が・・・

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6月 12th
Posted by ポン太  as なぜ生きる?仏教の教え

どちらの宗派の方かは存じませんが、仏教に関わる方から尊いお言葉を拝聴いたしました。

「長生きして大往生を遂げることが幸福とは限りません。
短命で若くして亡くなることが不幸とは限りません。
生まれてから死ぬまでの一度きりの人生。
なぜ生きるか、ではなく、どう生きるかが大切なのです」

・・・なるほど。
確かに、生の価値は生きていた長さで決まるものではありませんよね。
どれほど長生きしていても毎日を無気力に過ごしていては虚無感がつのるばかりですし、短命であっても精一杯過ごしていれば最期には満足できるかもしれません。
(短命な人ほどその生を満足のいくよう生きがいをまっとうしようとしますよね)

つまり、なぜ生きるかは特に問題ではなく、生きている間に何をどうするかが人生においては問題となるということです。

この言葉は、僕には「なぜ生きるかなんて無意味なことを考えている暇があったら、どう生きるかを考えなさい」と言っているように聞こえます。
まぁ、それを言ってしまうと、このブログを立ち上げた意味がなくなってしまうので肯定しきることはできないのですが。
でも、否定もできません。
なぜなら、なぜ生きるかなんて問題は、どれほど真剣に考えてこれ以上ないくらい適切な結論を導き出したとしても、それまでなんです。
比べてどう生きるかは、考えて実行すれば経験したという事実が残るのです。
我々人間は生について難しく考えがちですけど、生きるとは単純なことで、何かを経験することなんですよね。

なぜ生きるのかは、誰だって一度は考えずにはいられなくなる問題だと思うんですけど、なかなか答えの出ないことを時間をかけて考え続けているよりも、できることから始めた方がよっぽど有益なんじゃないかと考えてしまう僕でした。

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5月 30th

なぜ生きるのか。
自分なりの答えを出してしまっているつもりの僕ですが、とりとめなく考えてしまうことだってあります。
なので、今回は単なる独り言だと思って流し読みしていただけるとこれ幸い。
結論もオチもありませんのでご了承あれ。

どうせいつかは死ぬのに、なぜ生きるんでしょう。
なら、どうせそのうち死ねるのに、自殺者たちはなぜわざわざ今死のうとするんでしょうね。
やはり、人生が辛く、今後生きていくことが苦しいからでしょうか。
でも、自ら生を絶つのも苦しいでしょうに。
自殺サイトを見て命を止める方法を得たとしても、それらはどれも痛かったり苦しかったりと辛くないはずがありません。

僕は死にたいと思った経験はないので、自殺する人の気持ちは分かりません。
重い心の病を抱えていたり、いじめの体験があったりと、死よりも辛い生を送っていたら、こんな僕でも楽になる方を選ぶのでしょうか。
でも、その生が死よりも辛いだなんて、誰に分かるでしょう。
いやいやしかし、生きていくことによって長い間苦しみ続けるくらいなら、一瞬の苦しみに耐えて死んでしまいたくなっちゃうんでしょうかね。

死んでしまえば辛い思いをすることはないし、毎日絶えない仕事の問題に立ち向かう必要もないし、苦労もないし、悩みもないし・・・
肉体がないので動く必要も考える必要もなく、ないないづくしですねぇ。

これは確かに楽かもしれないけど、楽以前の問題じゃないでしょうか。
楽だって思うのも思考があって感じられるんだから、死んでしまえばあとに残るのは虚無しかないわけで・・・

・・・う~ん、本当にとりとめのない。

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5月 22nd
Posted by ポン太  as なぜ生きる?生き甲斐

前回あのような終わり方をしたので、今回も生き甲斐について少し。

なぜ生きるのか、それは生き甲斐を感じているからという人は少なくないでしょう。
ではそんな人たちは何に生き甲斐を感じているのでしょうか。
考えられる中でも主なものが以下でしょう。

まず、将来の夢のため、成し遂げたい目標のため。
生き甲斐には未来に希望を抱くことが大切だと、僕は前回述べました。
それの大きな例が、これですね。
夢や目標を抱くのは生き甲斐となるだけでなく、なぜ生きるのかの明確な理由ともなります。

次に、自分のしたことに達成感や充足感を得られること。
夢や目標が未来への生き甲斐となるなら、これは過去の生き甲斐となりますね。
これまでしてきた行動に満足できて、これからも同じく満ち足りた気分になれることがひとつの目標となります。

また、誰かの役に立つ、社会に貢献すること。
自分の行動が他人のためになると、自分には価値があるのだと実感できます。
ボランティア活動が主な例ではないでしょうか。

他にも、努力そのものや自分の能力を活かせることが生き甲斐だという人もいるでしょう。
多くの場合、生き甲斐とは特別な行動によって得られるものではなく、自分の普段の行動から得られるものなのです。
生き甲斐を感じられないという人も、案外自分の何気ない行動からにじみ出ている満足感を見逃しているかもしれませんね。

本当に生き甲斐を得ている人は、なぜ生きるのかの疑問にはすんなりと答えをだします。
なぜ生きる?なんて疑問を抱くことさえなく、ただ生き甲斐を感じることを人生の楽しみとしている人だっています。
生き甲斐を見つけるのはそんなに難しくないので、これらをヒントとして考えていただけたらいいです。

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